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コラム

イーハトーブ釣り紀行
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volume 8 〜 秋色ヤマメ 〜   村田 久

 もたもたしていたら、9月になっていた。川へ行けるのも、あとわずかではないか。
 そう思ったら、ちょっぴり焦りと寂しさを感じた。若い時分には、なかった気持ちだ。
 以前は体力にまかせて、がむしゃらに谷川を上り魚を釣りまくった。釣りがどうのこうのといった感傷に、とらわれることはなかった。それから長い年月が経(た)った。

川へ行く日数は、めっきり減った。深い谷へ、もぐりこむこともなくなった。
里の穏やかな流れで、のんびりと竿を振ることが多くなった。それもこれも、年を取ったというわけなのだ。そのせいか、春から秋までの釣りシーズンが、とても短く感じられてしまう。気がついたら、あっけない幕切れということになる。
 だから9月の声を聞くと、こうしちゃいられないと慌てふためくのだ。

 あの灼熱の夏が嘘のように朝晩は涼しくなり、そこかしこに秋の気配が漂っていた。
 何処へ行こうという当てもなく、家を飛び出していた。海に向かって走れば、いずれ川にぶつかるだろう。そんな程度の考えで、車を東の方へ走らせていた。あの川が釣れていると、いった情報は聞かないし、とっておきの釣り場の持ち合わせがあるわけでもなかった。

 今季は春先のヒカリ釣りから、魚影が少なく盛期の6月になっても魚のでは鈍かった。
 県南の大東町大原から山越えで、陸前高田市の矢作(やはぎ)町に下りた。気仙川の支流矢作(やはぎ)川と生出(おいで)川が合流している、二又集落付近のトロ瀬で、釣り人が一人
 見てみると、グイと竿先が曲がり、水しぶきの中に白い魚体がきらめいていた。ヤマメだ。
 お、いるではないか。竿を出したくなった。路肩に車を寄せて、エサ釣り師の下手の川岸に歩いていった。周囲の森の枝葉が、僅(わず)かに色づいていた。流れは透明で、清らかだった。水位が低いのは、しばらく雨が降らなかったせいだろう。

 エサをあさるカワガラスが、鳴きながら川面を行ったり来たりしていた。
 石まわりの浅い流れに、毛バリを放り込んだ。澄み切った水面を、毛バリはゆらゆらと滑っていく。魚が飛び出してくるのを、今か今かと固唾(かたず)を呑んで見つめる。
 この瞬間が、何時になっても新鮮でドキドキするものだ。スーと、毛バリは下手に流れてしまった。何事も起こらなかった。まずは空振りだ。二投目、三投目と、しばらく竿を振って行くが魚の出る気配はなかった。 長竿を振っていた。

 少し気落ちした。前方に、あのトロ瀬で竿を振っていた釣り人が見えてきた。
 近寄って声を掛けた。
 「おー、だめだなぁ。小(ちい)せぇのばっかりでよ。今年はよぐねぇがったな。でもよ、サクラマスが大分、上がってきでるべ。来春のヒカリはいいんでねぇが。楽しみだな」
 そう言うと、日焼けした釣り人の顔が、にっこりとした。男と別れて車に戻り、気仙川の方角へ向かった。気仙川に架かる廻舘橋を渡ると、川沿いに上流へ車を走らせた。

 川を眺めながら行くと、ぽつり、ぽつり流れに立ちこんで竿を振っている釣り人の姿が見受けられていた。コロガシで落鮎を狙っているのだろう。ここで毛バリを振ってみようか、どうしようかと迷っているうちに、住田町の川口付近にさしかかった。
 踏ん切りがつかないまま、大股川が合流する川口から右手へ折れた。
 そうだ、ここからなら遠野の里へは一っ走りの距離だ。八日町から赤羽峠を越え、遠野市の上郷町へ下りた。

 山際の道を行くと、黄金色の稲穂の田んぼが広がっていた。まるで、敷き詰められた金色の絨毯(じゅうたん)だ。風もなく穏やかな秋日和だ。おそらく今日が、今季最後の川釣りになるだろう。だから、静かでのんびり竿は振れる場所を選びたかった。

 小烏瀬(こがらせ)川を横切り、猿ヶ石(さるがいし)川沿いの安居台(あおだい)の下手で車を止めた。黄金色の田んぼの中に蛇行する細い流れが、見え隠れしている。
 川を挟んで林の中に民家の屋根がちらほらと見えた。田んぼの畦(あぜ)道を通り、土手の藪(やぶ)をかき分け川に下りた。石のない、のっぺりとした狭い流れが、生い茂る藪の中にあった。ちょっと戸惑いを覚えた。竿が振りにくいし、魚がいそうな気がしなかったからだ。

 川の中を歩きながら、毛バリを流れに落としていった。枝葉が邪魔をして、竿が振れない箇所もあった。振りやすい場所だけ拾って釣り上がっていった。
ふいに周囲の視界が開けて、両岸に広がる田んぼが見えた。

 前方の川岸に、屈みこんでいる人影があった。何をしているのだろう。釣り人ではないようだ。石で囲った水たまりで、ダイコンを洗っていたのだ。この近くの民家の、おかみさんらしい。今日は、と挨拶をすると、訝(いぶか)しげな顔付きをして立ち上がった。
 「あれー、こんな所で釣りがね。なんか釣れたのがね」
 僕は釣れないと答えた。この辺りではめったに釣り人を、見かけることはないと、おかみさんは笑った。やはり、そうなのだ。


 僕はおかみさんに顔を下げて、上流へ歩き出した。引き返そうか。いや、もう少しやってみよう。流れに立ちこんで、毛バリを振り続けた。葦(あし)が茂る少し深いトロ場に出会(でくわ)した。

 ふらっと毛バリが落ちた。いきなりガバッと水面が割れた。あっと声が出て、思わず腕を撥ね上げた。ガン、ガガンと竿先が引き込まれた。水しぶきの中に、白い魚体が激しく躍った。グイグイと強い引きを、葦にからめないよう何度かこらえた。ようやくネットに収まった。うっすらと紅を帯びた、秋色のヤマメだ。しばらく見惚れていた。ヤマメを押さえていた手を離すと、たちまちにじんだ紅色が流れに溶けて見えなくなった。これで充分だった。これで、いい終止符が打てた。

 土手に上がると、トンボのアキアカネが青い空いっぱいに舞っていた。



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村田 久(むらた ひさし)
●1942年北海道生まれ。ネイチャーライター。
●釣りエッセイストの草分け的存在で、自然に対する造詣も深く、自然環境問題に関する講演・シンポジウムでも活躍。
●「イーハトーブ釣り倶楽部」「底なし淵」「定年釣り師」ほか著書多数。
●その他、ビデオ作品「フライ・フイッシング・イン・イワテ」の監修など。
●現在、雑誌「Fly Fisher」にてエッセイを連載中。
●岩手県一関市在住。


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