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イーハトーブ釣り紀行
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volume 4 〜 山釣り 〜    村田 久

 「山釣り」という語句がある。
いや、あるというのは正確ではない。手元にある数冊の辞典を引いても、山釣りの語句は見当たらなかった。誰かの造語なのだろうか。意味はと訊かれても、どうも上手く答えられない。

 しかし釣り人なら山釣りといえば、あ、そうかといったなんとなく語句の持つ意味がわかってしまうのだ。釣りの世界だけに通じる言葉といえば、そういうことになるだろう。
 それにしても、山釣りとは素晴らしい言葉だと思う。僕は山釣りの三文字が大好きだ。

イワナ 芽吹きの季節から、森や谷は少しずつ緑の色を濃くしていく。谷あいに、蝉時雨の声がこだまする。そろそろ、初夏の気配だ。

 そうなると、いよいよ山釣り季節なのだ。緑色の絵の具を溶かしたような、谷川をゆっくりとロッドを振っていく。

 緑陰からチロチロと、こもれ日が川面をなめていた。一歩、また一歩と谷の奥を目指す。 浅い流れを、ザブザブ音を立てながら歩いていく。さっと、黒い影が岩陰からとびだした。しまった。でかいイワナだった。
 足音を殺して歩かなければ、魚は釣れないのだが流れを蹴散らしていくのは、たまらなく気持ちがいいのだ。


 時折、谷間を涼しい風が渡っていった。
 岩の脇の緩やかな流れに、毛ばりを放った。一投目は、何の応答もなく空振り。二投目、毛ばりが風に吹かれて岩にぶつかった。
ぽとりと、毛ばりは岩の角の水面に落ちた。いきなり、ガボッと水面が盛り上がった。
あっと、思わず力がこもった。
腕が跳ね上がっていた。ゴクッと言う衝撃が伝わり、スッと軽くなった。バレたのだ。
釣りそこねた魚は魚体をくねらせながらギラギラと流れに消えていった。
なにもあわてる事はなかった。いつもこんな失敗をやらかすのだ。
 キョロー、キョローと下手から鳴きながらヤマセミが、上流へ飛び去っていった。

 きっと頓馬な僕を、ヤマセミは嘲笑っていったのだ。こんなことで、めげてはいられなかった。小さな淵の落ちこみに、毛ばりを落としこんだ。淵の底からユラリと、イワナが浮かび上がってきた。

 イワナは、じれったくなるほどゆっくりと毛ばりを呑み込んだ。今度は慌てなかった。
軽くロッドをあおると、ぐいぐいとラインが走り、水しぶきが上がった。
青みがかったイワナは、丸々と太っていた。まぶしいほどに、きらめいていた。
 イワナは夏が旬なのだ。

野宿 たまに僕は、谷川のそばで野宿をすることがあった。気の合った仲間と、焚き火を囲みながら酒を飲み、珈琲をすすりおしゃべりをする。見上げる夜空には、満天の星があった。

 ふいに、闇の奥から気味悪い鳴き声が届いた。鳥だろうか、獣だろうか。もしかすると熊ではないか。一瞬ギクリと、皆の表情が凍りついた。

 僕らは一晩中、焚火を燃やし続けた。とうとう誰もが、一睡も出来なかった。
それでも僕は懲りずに、深山の谷へ足を運んでいる。夏とイワナが好きなのだ。
 そうだ、山釣りとは自然の懐にもぐりこんで、どきどきしながらロッドを振ることではないだろうか。そんな気がしている。

  暑い夏がやってくる。
 さぁ、これからが山釣りの本番だ。


P r o f i l e

村田 久(むらた ひさし)
●1942年北海道生まれ。ネイチャーライター。
●釣りエッセイストの草分け的存在で、自然に対する造詣も深く、自然環境問題に関する講演・シンポジウムでも活躍。
●「イーハトーブ釣り倶楽部」「底なし淵」「新・釣り師列伝」ほか著書多数。
●その他、ビデオ作品「フライ・フイッシング・イン・イワテ」の監修など。
●現在、雑誌「Fly Fisher」にてエッセイを連載中。
●岩手県一関市在住。



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