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イーハトーブ釣り紀行
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volume 3 〜 山学校 〜    村田 久

 僕の少年時代。
 岩手の田舎の夏。山あいの小さな小学校。アブラゼミ、ミンミンゼミ、ニイニイゼミの鳴き声がごちゃまぜになって、教室の窓からやかましく入りこんでいた。
 一日の授業が終わり、下校の鐘が鳴り響いた。わぁーと歓声上がり、いっせいに教室を飛び出した。
 「こらっ、道草しねぇで、早ぐ帰れよ」
 背中から、先生の怒鳴り声が追いかけてきた。川岸にあったぼくの家まで、歩いて片道たっぷり一時間以上はかかった。いつも一緒のわんぱく仲間は、帰り道が同じであった。

 まず腹ごしらえだ。手分けしてこっそりと、道端の畑へもぐりこんで、キュウリ、トマト、ウリなどをもぎとった。ニンジンや大根を引き抜くこともあった。分捕り品は、公平に皆と分配した。
 しかし、いくらなんでも人様の畑に入りこんで、作物を失敬するのは泥棒に違いなかった。今思うと真に許しがたい行為なのだが、村人と子供らのそんな悪さを、知らん顔してお目こぼしを、してくれていたような気がしている。いや、きっとそうだ。

 森の中を歩くと、熟したクワゴ(桑の実)、チャゴミ(グミの実)などが見つかり、唇が紫色に染まるまで、むさぼり食ったものだ。山には年中、いろんな木の実が生り、子供たちの食欲を満たしてくれた。
 腹いっぱいになると、小川でカジカを捕ったり、メダカを掬って川あそびに夢中になっていた。
 カン、カンカンと、ヒグラシゼミが鳴くと慌てて家路を走るのが毎度であった。
 「バカヤロー、いつまで山学校やってるんだ。飯なんか食うことねぇ」きまって親父の怖い雷が落ち、たまには痛い拳骨が待っていた。それでも、ぼくは懲りずに山学校を繰り返していた。

 山学校。そのまま読むと、やまがっこうとなるが、どの辞書にも山学校の語句は見当たらない。ぼくの子供時代に、ひんぱんに使われていた山学校の言葉は、今めったにきくことはない。それでも、たまに村里のじいさん。ばあさんから、ひょいと山学校が飛び出すことがある。山学校は岩手県の山村でしか、使われなかった方言であったようだ。「勉強もしねぇで、山学校ばかりして、お前らには困ったガキだ」
 親にとっては、子供が遊び呆ける山学校は頭の痛いことであったらしいが、ぼくらにとってはめくるめく魅惑の世界であった。
 ぼくらの少年時代、学校は二つあった。一つは国語や算数などを学ぶ、教室のある学校。もう一つは、先生もいない自由気ままな野あそびの山学校。どっちがいいといわれると、山学校が素晴らしいのに決まっていた。考えてみると、ぼくにとって少年時代の山学校が、大人になっても今だに続いているわけだ。

 夏になるとぼくは、山あいの清らかな谷川を選んで出かけることがある。岩泉の安家川であったり、気仙川の支流、生出川上流など、この時は、釣りにはこの次だ。ロッドの代りにカメラを持っていく。村里の澄んだ川の流れを、のぞきこみながら行くと、川あそびをしている子供らに出くわすことがあった。
 水しぶきを上げて泳いだり、川底をのぞいて、ヤスでカジカやイワナを突く男の子など、そこには懐かしい風景があった。

 セミ時雨のなか、子供らの歓声が上がっていた。ここには、まだ山学校があった。
 ぼくは嬉しくなって、子供たちの仲間に加えてもらうことにした。カジカガエの鳴く流れで子供らと遊んでいると、山学校の少年時代に戻った気がしていた。

「河北ウイークリー掲載」


P r o f i l e

村田 久(むらた ひさし)
●1942年北海道生まれ。ネイチャーライター。
●釣りエッセイストの草分け的存在で、自然に対する造詣も深く、自然環境問題に関する講演・シンポジウムでも活躍。
●「イーハトーブ釣り倶楽部」「底なし淵」「新・釣り師列伝」ほか著書多数。
●その他、ビデオ作品「フライ・フイッシング・イン・イワテ」の監修など。
●現在、雑誌「Fly Fisher」にてエッセイを連載中。
●岩手県一関市在住。



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